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2017年5月 8日 (月)

「友がみなわれよりもえらく見ゆる日よ」

 調子の上がらない人々が街に溢れる月曜日。先日、電車の中で聞くともなしに聞いた会話が頭を離れません。
 それは女子大学生2人の会話でした。

 別々のアルバイトをしているらしき2人、一人の時給が950円、もう一人が1200円だそうで。950円がしきりに1200円を羨ましがっていました。

「友がみなわれよりもえらく見ゆる日よ」

 石川啄木だってこんな詩を書いているくらいだから、その気持ちはよくわかる。ただ、彼女たちの長い人生を考えたとき、その「時給の差」に意識を集中してしまうのはいかがなものかと心配です。余計なお世話なのは百も承知で。

 私は最近、商売人塾や文章などで「定年など気にせずに長く働こう」というメッセージを発信し続けています。サラリーマンには定年があるからこそ、「商売」を勧めているわけです。

 この国のほとんどの人は、学生の時にバイトをして、就職してサラリーマンになります。そのうち一部の人がその後どこかのタイミングで商売人(フリーランス)になります。
 ニーチェみたいですが、「バイト→サラリーマン→商売人(フリーランス)」がこれから「三態の変化」になるのではないかと。

 ここでバイトは「時給」つまり時間を提供して働きます。成果ではなく何時間働くか。そしてサラリーマンになっても似たようなものです。成果よりも何時に出社して何時に帰るかのほうが重要。
 こうした場で長く働いてしまうと「時間で仕事する」習慣が付いてしまい、商売(フリーランス)への転換がうまくいかないケースが出てきます。

 だって商売人・フリーランス・自営業って、どれだけ長時間働いたって何の意味もないからね。

 お客さんに意味のあるモノやサービスを提供できるかどうか。これがすべて。
 オレなんか頑張って苦労して原稿書いたのに、売れなくてマクドナルドの時給以下になってしまった経験を何度したことか。

 しかし、それをなんどか経験する内に意味のあるアウトプット、意味のある仕事について考えるようになるんだけど。果たして950円の劣等感と、1200円の優越感を感じていた彼女たちが「それを気にしない」で生きられる日が来ることを祈りましょう。

 でも、われわれ大人も彼女たちのことを心配してられないかもしれません。
 周りの人と自分を比べて、もっともっと「ちっぽけな差」を見つけては妬んだりひがんだりしているからね。
 気をつけましょうね。ご同輩。