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2016年8月31日 (水)

Yへ

 毎年のように、夏休みには故郷の三重県に帰省しています。今年もそうでした。
 これまでずっと「故郷に帰る」という感覚でしたが、今年は故郷から東京へ戻る際に「帰る」という感覚が強くなった自分に気が付きました。好きか嫌いかは別にして、いまは東京のほうが「居場所」になってしまったようです。

 本日、ずっと海外にいる友人と30年ぶりに再会しました。
 「どっちに行くほうが『帰る』気分になる?」と訊ねたところ、「残念だけど、日本から離れて向こうに行くときかな」とのこと。

 「しょうがないけど、なんだか悲しいよな」

 故郷とは、いつしか物理的な場所ではなく、そこに対する思いであったり、思い出であったり、かつてを過ごした友人であったりするように、変わっていくのでしょうか。
 もしそうであるならば、友人から「変わらないね」と言ってもらえることは、これまでとは違った意味を持ちます。

 「変わらないね」

 簡単に変わっちゃいけません。そのためには変わらないといけません。
 有名なラインホルト・ニーバーの「ニーバーの祈り」の一節、

 神よ、変えることのできるものについて、それを変える勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについて、それを受けいれる冷静さを与えたまえ。

 これには知られざる後段があります。それは

 変えることができるものと、変えることのできないものを、識別する知恵を与えたまえ。
 
 というもの。
 いつかまた会おう、友人Yへ。