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2016年6月11日 (土)

あの事件について

 同年代が集まると、必ず「あの話題」になります。男児置き去り事件。おそらく世の親という親は、必ずそれに近い仕打ちをしたか、あるいはしようと考えた経験があるはずです。そんな親は、決してあの事件を人ごととは思えません。

 「しつけ」云々を後講釈で語っても意味がないと思うのです。なぜなら、たとえ我が子でも、罵ったり、叩いたりする瞬間は「憎い」と思っています。私だけかもしれませんが、こっちも生身の人間、叩く瞬間に「しつけ」とは、思っていませんでした。
 「置き去りにして、後で戻ったら居なくなっていた」父親を責められません。確率論で自分に起こったかもしれないし。

 というわけで「本当によかった」としか思えないわけですが、それとは別に、すこし「社会の先行きについて嫌な感じ」を予感しています。

 それは「置き去りにするのはよくない=子どもは守らねばならない」という感覚が過度に強まってしまうことです。例によってリスク回避ってやつ。
 「子どもを守る」ために「置き去りにしなければ良い=安全な場所を確保すれば良い」となると、おそらくその親は、我が子を送り迎えしつつ塾に行かせ、フリーターにしないよう偏差値の高い学校を受けさせるでしょう。就職活動では安全で安定した給料が保証される有名大企業を目指させることでしょう。
 大企業に入社した我が子に対して、理不尽な仕打ちをする会社や上司には、「うちの子に何をするんですか」と文句を言うことでしょう。だって、親は我が子を守らねばならないのだから。

 もちろん子どもを守ることは大切なことです。しかしそれは「ずっと安全な場所に置いておく」ことではないと思うのです。
 どこで我が子を手放して、タフな場所でも生きていけるように自立させるか。これも親の大切な役目にちがいありません。

 だって、子どもたちが大人になって一歩を踏み出す「これからの大企業」は、もしかしたら漆黒の闇に包まれた北海道の森林より危険な場所かもしれないのだから。