2月9日だという日付を確認してうなだれる。
年末にあれだけ「来年は変えるぞ!」と決意したのに何も変わってない。
相変わらず毎日の仕事をこなすだけの日々。余裕無し。
このままでは今年もこうして終わっていく。
こんな後悔をあと数十回繰り返して死ぬだけの人生なのだろうか。
どう考えてもまずいぞ。
いくつかの仕事にお断りを入れ、週間の連載も1週お休みをいただき、
出張先のホテルで一人、外にも出ないで腕組みして考えてみた。
「何が足りないのだろう?」
「何が間違っているのだろう?」
原稿も書いているし、コンサルティングも思うような方向に進んでいるし、講演の機会も数多くもらっている。
アウトプットの機会は十分過ぎるほどある。
インプット不足が気になってたくさんの本も読んだし、いろんな講演も聴きに行った。
それなのにどんどんフラストレーションが溜まっていくのはどういうわけだ?
きっとインプットとアウトプットの間が足りないのだ。
落語と人生でも間(ま)が大切なように、仕事でもインプットとアウトプットの間(あいだ)が大切なのだ。
最近、どんなテーマで講演依頼をもらってもそれなりに対応できるようになった。
どんな商売の相談でも会計に限らず、対応ができるようになった。
単行本でも連載でも書こうと思えば何でも書ける。
・・・・でもなんとなく「上手に」なっているだけなのだ。
認めたくはないが、このままではユニクロ会計士みたいなもんだ
何を頼まれても「それなり」にこなせる。でもすべてにおいて「そこそこ」。
インプットは人様から頂く。アウトプットは人様に提供する。
もらったインプットを上手く処理して、相手に役に立つように渡すだけではタチの悪いブローカーのようなもんだ。
どれだけ上手くやったとしても。
その「間」に自分が立って、考えねばならぬ。悩まねばならぬ。
そうでなければ「自分の考え」など持てるはずがない。
これだけインプット=情報が氾濫して、アウトプットの形式が多様化したらなおさらだ。
最近軽々しく「自分ブランド」などと口にする輩に腹が立つのはそのせいだ。
「お前、自分でなにも考えてないだろう」と。
**********************************
知識を勉強するインプットと、表現して人に伝えるアウトプット。
そしてその間にある変換=考えるというプロセス。
これらのバランスはどんな仕事、人間にも必要だと思います。
これらをバランス良く鍛えればいいのはわかりきったことです。
ただそれほど簡単ではありません。
どうやら人生のなかで「インプットすべき時期」「アウトプットすべき時期」
は長い時間のうねりをもってやってくるようです。
私はここ数年、落語家さんとの仕事や執筆など、アウトプットの機会に恵まれてきました。
それに気がついてインプットも頑張ったつもりです。
もうそろそろ、「自分で考える」時間が必要な段階に入りつつあるようです。
「自分のことばで語れる老人」になりたいです。
しばらく自分の世界に入ってみようと思います。
目指すは、「脱・ユニクロ」(着てるんだけどね)。
***********************************
実はそんなことをマジメに考えたのは理由があります。
最近の講演などでかなり「飛ばし気味」で話しているのですが、
「そんな話を聞きたいんじゃねーよ」
「なに、偉そうに話してんだよ」
という視線を感じる一方、
志の吉さんとの会でも、今日大阪で呼ばれた会計の講演でも、
たった数人ですが、本当に熱心に聞いてくれて反応してくれるお客さんがいるわけです。
それが初老の紳士だったりしますと、心から嬉しいわけです。
こうした人たちの笑顔を拝見していると、
「この若いの、生意気だけど言ってることはすこし面白いな」
と思ってもらえるようにもっともっと修行したいと思う次第。
こういう人に「また行ってみようかな」と思ってもらえるようにならないと。それが修行だ。
そんなわけで会計も、それ以外のネタも、いったん「無」から考えたいと思います。