いつもの平凡な1週間、いつもの悩む父親
週の初めの月曜、演・喬太郎/舞・田中泯というコラボを谷中のお寺で観た。原作の夢枕獏さんがどうしてもと駆けつけたのもわかる。週末の金曜は志の輔師匠を赤坂で見、日曜にはK君にもらったチケットで白鳥・喬太郎・雲助の落語会に行って1週間が終わった。
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私は輸入モノの手帳とカレンダーは買わない。なぜなら1週間が日曜(左端)から始まるフォームのものが多いからだ。これはキリスト教の影響なのか? よく知らない。
やっぱり1週間は月曜から始まって日曜に終わる。そう思うのは笑点のテーマ音楽のせいだ。あれは終わりの音楽だ。そういえば円楽師匠もお亡くなりになった。
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はや11月。今年もあと2ヶ月というのに、今年は苦しんだだけでほとんど成果を残せなかった。ただ、今年は近年になく子どもたちと一緒に時間をすごせた気がする。
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今日、トリの五街道雲助師匠の演目は「子別れ」。帰り道に読み終えた東野圭吾の新刊小説「新参者」のテーマも○○○。
私はネットやケータイが大嫌い。それは父親としての立場で考えているからかもしれない。
ここ数年、ビデオ片手にわが子の運動会や音楽会を撮ることに疑問を感じていた。それよりいまのこの瞬間を楽しんだほうがいいのではないかと。そんな父親は、食事のときにケータイを触るわが子を怒り続けている。
「食事の時にケータイを触るな!」と怒鳴りながら、実は、それを怒るべき世の中ではないのかもしれないとこの父親は悩んでいる。
なぜって、家族連れでいるのに、ケータイで仕事相手と熱心に商談する父親や、写真付きで「なんとかなう」と書き込んでいる母親で溢れている時代。そんな環境で子どもがケータイに入り込むことをどうして叱れようか。
それにいまの中学生はケータイを通じて信じられない友情を育んでいるらしい。クラブのエピソードを聞くと「へえ~」と感心したり、いまの子どもたちを頼もしく思ったりする。
しかし世の中がどうであろうと、「目の前に存在する人」を大切にして欲しいと思う。ネットで上手に儲けられなくとも、デジタルの人気者にならなくとも、「目の前のたったひとり」をアナログに大事にできる人間になって欲しい。
・・・・そんなことを思いつつ、やっぱり子育てについて自分の考えには自信が持てない。だからせめてわが子と一緒に意味のない時間を過ごすしかない。
昭和の父親が平成を生きるのは、かくも難しいことなのである。
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ひとつの事件を軸に短編のひとつひとつが、見事に繋がり事件を解決します。ひとつの殺人事件の手掛かりを一つ一つつぶしていくとそこには様々な下町の人間ドラマが広がっていき短編作としても十分読み応えがあります。 続きを読む
受信: 2009年11月 4日 22:38



コメント
この週末は、文都師匠のニュースがあまりにもショックでした。
圓楽師匠はテレビで見る人でしたが、文都師匠は、広小路亭などの小さい会場に行けば目の前に存在し、楽しい時間をくださった人でしたから、本当に悲しいです。
志の八さんの昇進記念のときの「犬の目」が、私が拝聴した最後の高座になってしまいました。
投稿: かがみ | 2009年11月 2日 12:11
文都さん、かなり痩せていたから心配はしていたけどね。すこし早すぎるね。
投稿: たなか | 2009年11月 4日 00:10
>「目の前のたったひとり」をアナログに大事にできる人間になって欲しい。
そういう、子供にするために、
自分の仕事のため、人といるのに、
携帯メールで、ちゃっちゃっと、指示をしてしまうことが、多々ありました。
最近、気をつけていたのですが、益々、自分から気をつけます。
氣づき、ありがとうございます。
投稿: はま | 2009年11月 10日 11:26
> はまちゃん
どんな時代であろうと人間の基本は立ち居振る舞いがすべてではないかと思うようになりました。立ち姿を凛々しく美しく。振る舞いを優雅に優しく。
「そうではない」大人ばかりをみるにつけ、子どもたちにはせめてそのことを伝えたいな、と思います。
自分もまだまだなのですが。
投稿: たなか | 2009年11月 12日 00:59