生と死は瞬間でなくプロセス
「なんでいまさらトレーニングなんですか?」とさんざん訊かれて困っています。
いつ気が変わって止めるかもしれないので、止めないうちに回答を。
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先月はじめ、仕事上でお付き合いのあった方が亡くなった。
ご本人が社長を務める会社からの連絡で知った。主を失ったその会社は閉鎖だという。
今月、仕事でお世話になっている編集者に初のジュニアが生まれた。
かなり長く待たされたらしい。きっと喜びもひとしおだったことだろう。
長く生きていると、生と死に立ち会うことが多くなった。
すべては感慨深い出来事であるが、事実として生と死は偏ることなくやってくる。
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昨年に聴いた講演のなかでもっとも印象に残ったのが、ジェイカレッジの対本宗訓さん
の話だった。
私は人の講演を聞くとき、メモをとらない。
なぜだか説明不能だが、メモをとらないことが講演者に対する礼儀だと思っている。
だから記憶に残る話でないと、ぜんぶ忘れる。
そんななかで対本さんのいくつかのフレーズは頭にしっかりと残っている。
もっとも印象に残ったのは、「生と死は瞬間で決まるものではない」というお話し。
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医学的には母親から胎児が生まれ出た瞬間を「誕生」と定める。誕生日・誕生時間。
これはあくまで知人の編集者氏のごとく、「はやく子どもの顔をみたい」という親バカの
立場に近い便宜的なモノだ。
当の本人は10ヶ月(だっけ?)も前から「命」として誕生していたわけだし、
母親も胎児を自分のお腹の中でずっと支えている。
それなのに「胎内から出た」という瞬間を切り取って「誕生」と決定するのはおかしい。
生命の誕生とは、長い時間を伴って完成されていくプロセスではないか。
だとすれば、死亡というのも同じで、脈拍が停止した瞬間を「死亡」とするのは乱暴な話で、
人間というのはもっともっと死に向かう長いプロセスを経て到達するものではないか?
・・・・とまあ、こんな話を対本さんが質疑応答のときにされていた。
私にとってこの「生と死はプロセス」であるという話はかなり刺激的だった。
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だからトレーニングなんですよ。 ・・・・って、話とんだ?
私がいくら傲慢でも、自分が人生の後半戦にさしかかってきたという事実、
体力も思考も柔軟さも衰えてきたという事実は認識しています。
体力も衰え、付き合う相手も年下が多くなり、我が儘になって落ち込むことも増えました。
そのほとんどは受け入れようと思っています。
「下り坂を受け入れる」って大事なことです。
自分に対しても人に対しても世の中に対しても。
でも、ひとつぐらいは「後半戦の下り坂」に対抗して逆らってみたいなと思って選んだのがトレーニングです。
だからべつに痩せたいわけでもダイエットでもありません。
「自然の法則」「自分で限界を設定している自分」に逆らいたいだけです。
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