ルール
大雨に見舞われた大阪の出張から帰る。
毎度のことながら新幹線グリーン車のマナーの悪さはどうだろう。
夏休みの子どもではない。大人も大人、いい大人。しかも金持ちらしき人々。
グリーン車に乗って腹が立たないことがすくないくらい。
平和に降りられると「ラッキー」とすら感じる雰囲気の悪さ。
ケータイはうるさい、態度は悪い、マナーは最悪。
醜悪な金持ちというよりは金持ちの醜悪さと表現すべきなのか。
なぜこんなにグリーン車の雰囲気は悪いのだろう?
高いカネを払えば何をしても許されると思っているのだろうか?
読書や静寂を求めている他人がいることくらい想像ができないのか?
大阪から乗った席には、飲みかけのビール缶と食べ散らかしたスナック菓子のかけらが残されていた。
すべてを片付けてから、やっと席に座って溜息をつく。
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最近、席のまわりをきれいにして、リクライニングを直してから席を立つようにしている。
ホテルに泊まったときにも、できるだけきれいに片付けて出るようにしている。
若いときと違って道にモノは捨てなくなった。
それは決して次に座る人、他の人への思いやりではない。
「散らかして去るような人間にはなりたくない」と思うだけだ。
極端な話し、思いやりだけで片付けるのであれば、終点の東京では片付けなくていいことになる。
迷惑をかけないところではゴミを捨ててもいいことになる。
人のためではない。自分の中のルールとして「散らかして去りたくない」のだ。
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食品偽装をはじめとする数々の企業不祥事。
お詫び会見で頭を下げているオヤジたちの白々しいこと。
その表情を見るに、彼らは悪いことをしたと反省していない。
そして彼らはグリーン車でマナーが悪い、と勝手に私はにらんでいる。
もしかすると彼らの根本には「思いやり」があるのではないかと思う。
数々の食品偽装で嘘はあるが死者は出ていない。
彼らには彼らなりのさじ加減(=他者への思いやり)があるのではないか。
「中国産を日本産と偽るくらいはいいだろう」
さじ加減は時として本人の中で肥大化する。
「カネを払っているのだからこれくらい許されるだろう」
他者への思いやりは常に相対的な関係で揺らぎ続ける。
「相手が・・・・にならなければ・・・・・くらいはいいだろう」
加えて「みんなそれくらいやっている」という日本的感覚が相対性に悪しき拍車を掛ける。
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そんな世の中だからこそ「思いやり」ではない絶対的な「自分のルール」を大切にしたい。
「思いやり」に基づくルールなど、実はほとんどが優柔不断の言い換えに過ぎない。
無人島にたった一人になっても自分はゴミを片付けるかどうか?
世界にたった一人になっても守るルールだけが自分のルール。
思いやりでなく、自分が守ると決めたから守るルール。
そういう「本物のルール」だけを大切に持ち続けたいと思う。
灰皿があっても嫌がる人がいるときはタバコは吸わない。
自分が去る場所はきれいにして去る。
それを守ることに理由はまったく存在しない。
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コメント
地球のために、みんなのために、家族のために、あなたのために・・・の言葉は耳に心地よいけど本当は自分自身との約束が一番崩れやすく守られればこれほど最強な者はないのでしょう。自分に明確なルールを課せる人間になりたいですね。アスリートのような!
投稿: ha-kunn | 2008年8月 9日 08:06
先日乗車した高速バスでのおばちゃんの集団!終点まで怪談や心霊写真の話を大きな声で延々としてくれちゃって、怖い話が大嫌いな私…、ただただジッと耐えて座ってました。
投稿: nana | 2008年8月 13日 11:47
ha-kunnさん
これはほんと真面目な話しね、自分のルールって一番大事だと思うんですよ。生きていく上で。
nanaさん
それは冷房が効いてなくても涼しそうな旅路ですね。
訴えればよかったのに(笑)。
投稿: たなか | 2008年8月 25日 03:08