捨てる その2
ある母集団に2種類のものが混在していたとする。
これらを2つに分けるには、どちらか片方の定義をすればよい。
そうすればもう片方は「残り」と定義できる。
両方を定義する必要はない。
2つのものを分けるとき、われわれは無意識に
「一方の定義 + もうひとつは残り」
という決め方をしている。
残すを決めれば捨てるが決まる。
小学生の教室から「男の子は出なさい」と命令すれば、女の子が残る。
幸福と不幸。
これも同じ。
しかしどちらを先に定義するか、これが問題。
幸福と不幸のどちらを先に定義するかで、大げさに言えば人生が決まる。
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最近、「こうすれば幸せになれます」という方法論(出世術、金儲け、投資術、勉強法etc.)や
「心はこう持ちましょう」という精神論が流行っている。
そこで明らかにされているのは常に「幸せ」のイメージだ。
お金や時間や心を上に向けて得られるのが「幸福」な状態。
それに向かって改善しましょう、努力しましょう、頑張りましょう。
光りのある方向に向かって。
これらは「幸せな状態」を定義して、それ以外を不幸せな状態=「不幸」としている。
だからこの国では、リストラや、貧乏や、受験の失敗や、大企業に就職できないことや、
離婚などはすべて「不幸」に分類されている。
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なにが嫌いって、幸せを定義するのが嫌いだ。アンナ・カレーニナじゃあるまいし。
「幸せ」を意識しすぎると、それ以外の状態は全部「不幸」になってしまう。
近年、自殺や家族殺人が多いのはこれが原因ではないかと思うのだ。
「幸せ」を狭く定義しすぎたことによって、「それ以外」がすべて不幸に感じられてしまうこと。
だとすれば中年男性の自殺が多い現象は当然だ。
・上司の覚えめでたく出世する自分
・責任を持って部下を育てる自分
・金銭的に余裕のある自分
・家族にも心から信頼される自分
こんな自己イメージで「幸福」を定義すると、苦しくなるに決まっている。
そんなにみんなから愛されることなどあるもんかい。
「幸せイメージ」に洗脳された親の子どもたちは受験地獄に追いやられ、
つらくて面白くない毎日を過ごしている。
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こうなったら解決法はひとつ。
「不幸」の定義に取り組むことである。
なにがどうなったら自分は最悪の状態であるか。
不幸を徹底的に突き詰める。そして、それ以外を「幸福」とすればいい。
どん底の「不幸」から逃げてはいけない。
仕事が無くなったらどうなるのか。
部下や家族から見放されたらどういう気持ちになるのか。
すこしは効率化をやめて、意味もなく眠れぬ夜をすごしたほうがいい。
そうすれば人にも自分にもすこしは優しくできる。
メール1通にもシャレをこめることができる。
根が暗い私はここしばらく、ずっと不幸について考えていた。
長い長い熟慮の末、「不幸」という状態は、それほど簡単になれるものではないということが判明した。
自分が漠然と不安を感じていた「不幸」など、よくよく考えてみればたいしたことはない。
無一文でもバカでも自殺することはない。
親が笑っていれば、子どもはバイトでもして勝手に生きていく。
上司がバカでも、部下はちゃんとそれを見ながらやるべきことをやっていく。
大したことない不幸は、それをネタにして笑えば1分で終わる。
問題は笑えるかどうか。
最近、現実が困難かつ悲惨な状況になればなるほど「ニヤリ」とする自分がいる。
「きたぞ、きたぞ、不幸が来たぞ」と思いつつ。
「幸福」なんて真剣に考えず、「不幸以外」でいいのではないでしょうか?
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コメント
不幸を「幸せでない」となく日本語もよくないですね。「悲惨」に対して「非惨」っていうような新しい日本語でも作っちゃいましょうか。
投稿: かがみ | 2008年5月 13日 06:21
そうですよね~。
不幸な状況を自分で定義づけるとするなら、住んでる場所が戦場になること、息子が戦争に行くこと、トイレに行きたいのに行けなくて我慢することくらいでしょうか。
投稿: しながわ | 2008年5月 17日 23:07