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2008年5月31日 (土)

弟子Aです。
本日開催いたしました、「初心者向け落語会」ですが、
ご参加いただきました皆さんのご協力により、無事に終了することが出来ました。
スタッフ一同、感謝いたします。
ありがとうございました!
ライブのすばらしさを感じていただけたとすれば、演者、スタッフとも
こんなに嬉しいことはありません。
ただ、「熱くなった師匠の話は長い」ことをすっかり忘れていて、
最後はばたばたしてしまい、お帰りの時間が遅くなってしまったことをお詫びいたします。

お店の雰囲気もよく、志の吉さんも気に入ってくださったので、
機会があれば、また同じお店で落語会を開催できれば、と思っております。
本日は本当にありがとうございました。

p.s.素敵なお店を紹介してくださったMさん、ありがとうございました。

2008年5月30日 (金)

来週開催、某大手ソフト会社から呼ばれたオープンセミナーの資料を作成。

次の書籍や企画で頭が一杯一杯のため、来月発売の新刊は遠い過去になっている。
でもセミナー資料作成しながら思い出した。
来月発売の「数字力トレーニング」は、もともと昨年発売の「会計力トレーニング」と
セットの企画だったのだ。
1年越しでやっと完結した大プロジェクトだった。・・・・・・・すっかり忘れていた。

この内容をセットで講演するのはこれが初。
なかなかいい内容になりそうだぞ、これは、といまさら気づく。

そう思って「会計力+数字力」初講演を告知しようとしたのですが、もう満員御礼でした。
残念。無料セミナーは埋まるのが早いです。
もうすこし練り直してどこかの「真面目な講演会」で披露するのでよろしくお願いします。

それはそれとして、明日は「志の吉初心者向け独演会」のゲストで出演します。
どんな会になるのか楽しみ楽しみ。
(参加される初心者の皆さま、落語会は運動会と違って雨天決行です)

2008年5月29日 (木)

メールを出した某大物師匠。アドレスで笑う。アドレスだけで笑わせてくれるんです。

シャレのないアドレスとは大違い。
反省。
名刺や封筒にいくら工夫を凝らしても、アドレスに手抜きをしてしまう生き方は底が浅い。

見えないところで笑いをとるのが「粋」。それだけは江戸時代も今も同じ。

2008年5月28日 (水)

昨日大阪出張から帰る新幹線、熱海を過ぎるころ、
「去年、志の吉、橋口さん、石野さんと岩盤浴にきたなあ」
と思いだす。
みんな昨年より忙しくなっている。それがいいのか悪いのか。

きょうも天気がいい。
なのにストレスと忙しさはあいかわらず。こんな人生でいいのか。なんのための仕事なのか。

「熱海の岩盤浴に行こう!」


突然そう思い立ち、「仕事なんかサボって一緒に温泉いこうぜ」と友人を無茶に誘う。
東京駅から一路熱海へ。
昼間から温泉岩盤浴「嵐の湯」でタップリと汗をかき、人気の少ない海岸沿いを散歩。
東京の喧噪がうそのような爽やかさ。

歩いたあとは冷えたビールにうまい寿司。すこし炙った干物に岩ガキもうまい季節。
心と身体の新陳代謝。極楽。

仕事の反対は休みではありません。仕事の反対は遊びです。
予定のない突発的な遊びはどうしてこんなに楽しいのでしょうか。

2008年5月27日 (火)

一昨日の夕食が思い出せないならともかく、今日やった仕事をぜんぶ思い出せない。
覚えているのは来月発売の新刊、ゲラの最終校正を出したこと。それだけは確実。解放感。
お許しをもらったので書名と発売日だけ。

「ビジネス脳を鍛える! 数字力トレーニング」
日本経済新聞出版社より6月20日発売です。

と、いうところまではいいとして。

次に出す予定の某版元より出版予定の新刊。企画書のタイトル案を自分で見て愕然。
「ビジネス脳は鍛えるな! ○○○○○○○○○○○○○○○○」
ウケ狙いでなく、完全にマジで考えた結果がこれ。
日経に「ビジネス脳を鍛える」が付いていたのを忘れていた。
中年性バカ。アルコール性痴呆症。酔ったカッパの川流れ。
どないすんねん、これ。ビジネス脳のまえに普通の脳がまずいぞ。
「売れている山田真哉氏のマネに決まっているでしょう!」とゴマかしてしまおうか(注)。
・・・・それも無理があるなあ。参った。脳ドックにも行かねば。

(注)
最近山田真哉氏は光文社新書から
・食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字(上)
・「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字(下)
という2冊を出版されています。彼は私のようなアホとはちがい、もちろんワザとこうしているはずです。

2008年5月26日 (月)

いままでの理屈、業界、仲間とはちがう人と仕事をしてみる。
すると自分の常識がいかに小さかったかを知る。
それとともに「常識」を信じて自己を構築していた自分の崩壊を感じる。
その世界が一番嫌いなくせに、その世界の言語・思考で言い訳している自分に気づく。
そういうとき、言葉を失い感情もなくなるけれど、不思議なファイトがわいてくる。

「空を飛んではじめて道がまっすぐだとわかった」 byサン=テグジュペリ

2008年5月25日 (日)

昔からひとつのことを継続するのが苦手な性格の自分。

しかしここまで同時並行で新しいことをはじめているのだから、
「継続しないということを継続している」と言えるのではないか? と一人言い訳。

それにしても雨の土曜日、朝起きて企画書を書き、新刊とイベントのタイトルを考え、
夕方は若人に田中塾Jr.を開催したあとで、その後8冊の本を読んだ私は本当に立派だと思う。
(誰も褒めてくれないので自分で)。

うーん、1日50時間くらい欲しい。

2008年5月22日 (木)

とうとう地下鉄に登場した化粧女に警告のポスター。
「家でやろう。」

Img_0368_2











電車内化粧のブームが続いて、
電車内で化粧を落とし、
徐々に素顔を晒す女が現れるまで、ブームが続いてほしかったなあ。

2008年5月21日 (水)

原稿の合間、捨てるシリーズの続き(自分の中では好評につき)。
捨てるべきものは「可能性」。

子どもの受験や習い事に熱を上げている親に「どうして?」と訊くと、返ってくる答えがこれ。
「子どもの可能性を広げるため」
ああそうですか、と相づちを打ちつつ、バカじゃないかと思って聞いている。
オレはあなたの子どもに生まれなくて本当によかった、と思う。

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中学生のとき、鬼のような女の先生がいた。大声で怒鳴る怒る、本当に怖かった。
その鬼に授業中一度だけ褒められた。アドリブでつくった作文を発表したあとだったか。

発表したあと、いつもの大声で「田中!」ときたので「ハイ!」と答えて固まった。
かなり長い間があり、そのあと、いつになくゆっくりとした優しい口調で言った。
「田中、お前には文才があると思う。将来、そういう方向に進むといいかもしれない」
後にも先にもその鬼先生が、授業中に生徒を褒めるということはなかった。

そのあといつもの教室に戻り、何もなかったかのように授業は進んだ。
しかし、そのときの教室の柔らかい空気を今でも覚えている。
教室のすこし前寄り、かなり左側。座っていた位置までハッキリと。
なぜなら私にとって、それは将来の仕事が決まった瞬間だからだ。

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幼稚園と小学校の頃、私はいつも本を読んでいた。暗い子どもだった。
たまに遊びにきたおばあちゃんから
「本ばかり読んでないで外に行って遊んできなさい!」とよく叱られた。
しかたないので隠して本を持って外に行き、公園で読んでいた。
少食でおかわりもしなかったので「もやしっ子」と言われた。
子ども心にすごく情けなかった。
その本好きもやしっ子が、先生から「文才がある」と言われたらたまらない。
「いつか本を書く仕事をしよう」
一瞬にして、その場で将来の仕事が決まった。まったく迷いはなかった。
中学生にして、その他の仕事に就く可能性はすべて消滅した。

そのあとのすべての選択は「本を書く」ためにあったような気がする。
大学の試験や会計士の試験でもそれなりに緊張感はあったが、結果は気にしなかった。
そんなことより「本が書けるかどうか」だけが大事だった。
会計士に受かったときは、「よし、これで本を書くネタが仕入れられる」と思った。
それ以前に、会計士を目指し、就職活動しないで無職で卒業したのも、自分のなかのどこかに
「サラリーマンで本が書けるかい!」という思いがあったからだ。

とにかくあの先生によって私は「本を書く人生」以外の可能性をすべて捨てた。
たしかに本を出すための苦労はかなりのものだったが、それを苦労と思ったことはない。
本を書けるんだから苦労して当然だと思っていた。
こうなると夢でもなんでもない。「決まった」ことなんだからやるしかない。

はじめての「経営がみえる会計」が出たとき、どれだけ嬉しかったことか。
そのとき長女は幼稚園児。紀伊國屋書店新宿本店でパパの本を見つけて何をするかと
思いきや、キョロキョロあたりを見回し、
「いらっしゃい、いらっしゃい、パパの本ですよ!」

涙が出てきて、嬉しすぎて、今日死んでもいいと思った。

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そのせいかもしれませんが、私には「夢」というのものがありません。
夢は叶えるもの、だけど叶わないかもしれないもの。
「本を書く」は私の場合、「夢」ではなかった。
やるのかやらないのか、それだけ。

それが現実になった今、もう人生は残りカスのようなモノです。
本気でそう思っているし、それがまた意外に気に入っています。
だから友人の少ない孤独でも、短気でも、儲からなくてもいいんです。

しかし、もし残った人生でなにかやるべきことがあるとしたら、
わが子と若人たちに「可能性の捨てかた」を教えてあげることかな。
それが亡くなった先生への恩返しのような気もするし。

夢や可能性というのは、実現してナンボ。
夢や可能性が広がったって、選べるのはたったひとつ。

すべてを捨てても「これを選ぶ」という気持ちで選択できるか。
就職の会社でも、結婚の相手でも、「選択しなかったもうひとつの可能性」
を捨てられるか。

可能性を広げることが子どものためになる時代はとっくに終わった。
子どもたちは、有り余る可能性のなかで「選択」ができなくて苦しんでいる。

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私はたったひとつ、とても大事なことをあの鬼先生から教わった。
可能性を捨てさせるためには、その人間を「見てやる」ことに尽きる。
あの先生はたしかにオレのことを見ていてくれた。

見たうえでアドバイスするのか、指導するのか、コーチングなのか、それは
よく知りません。
上手なアドバイスをする気もありません。そいつの可能性が広がったら困ります。

でもとにかく子どもや部下を自分の目でしっかり「見てやる」こと。
おまけの人生につき、それ以上のことはやろうとしてもぜんぜん思いつきません。許せ。

2008年5月20日 (火)

ブログの更新も、メールの返事も、電話も、必要な連絡すべて滞りがちです。
関係者の皆さま、見ていらっしゃったらすみません。

新しい企画に向けてかつてない「濃くて楽しい」自分だけの時間に没頭しています。

おそらく今の私を見る人が見たら、後ろ姿にオーラでも出ていると思います。
そのせいでしょう。
担当の編集者が痛風になったり、後輩に急な結婚が決まったり、金を盗まれたり、知人に浮気騒動が起こったりしています(ぜんぶ実話)。
お願いです。平穏に暮らしたい人は、しばらく私のそばに近寄らないでください。

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<告知&募集>

1 今週末の5月24日(土)15:00~大学3・4年生向けに「田中塾Jr.」を開催します。(協賛:ダイヤモンド社)
 このブログに該当者は少ないと思いますが、興味ある人は連絡ください。あと1,2名なら参加可能。
 効用:希望の会社が明確になります。
     自分のPRがうまくなります。
     きっと希望の会社に入れます。
     出世できます。
     幸せな結婚ができます。
     人のことを簡単に信じなくなります。  以上。

2 現在没頭している新企画はおそらく2年後にメドが付くはず。その先を考え始めました。
 漠然とした募集ですみません。
 「太平洋戦争」を真面目に勉強したい方、本だけでなく、沖縄や知覧にも行き、戦争経験者へのインタビューなどを含め勉強することに興味のある方、一緒にやりませんか。 
 この年になると、残すべきものは後に伝えないといけないと思うのです。
 興味ある方、個人的に連絡ください。

2008年5月16日 (金)

「捨てる」で書きたい内容はまだまだ尽きないのですが、
さいきん面白企画ネタが増え、興奮して企画書に没頭しています。

酒を飲むのも眠るのも惜しいと思うほど集中して企画書に向かうのは初めてです。

2008年5月14日 (水)

モノ・情報・人間関係。
真っ先に「捨てる」べきは人間関係、つまり友人だと思う。
冗談でも何でもない。

ただそれは今現在の友人に「お前なんか、どこかへ行け!」と言う意味ではなく、
「友人は少なければ少ないほうがいい」
という意味である。

私たちは幼少期から「友だちを大事にしなさい」と教えられる。
私も自分の子どもたちにはそう教えている。
しかし、いい年の大人にもなれば「大事にする」という意味を考えねばならない。

どうして友人が少ないほうがいいかというと、友情にも空腹感のようなものがあると思うからだ。

腹が減って食う食事は例外なくうまい。のどが渇いたときの水ほどうまいものはない。

実は私が勤め人を続けられなかった理由は「昼食」が大きい。
いまでもそうだが、1日朝昼晩に食事をするというのが大の苦手。
だからサラリーマンの頃、食いたくもないランチがすごく苦痛だった。
でもランチを誘ってくれる友人に「オレ、腹減ってないからいいわ」と断る勇気はなかった。
そんな20代の終わりに胃潰瘍による吐血で死にかけたのは偶然ではないと思っている。

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人が多い。多すぎる。
普通に仕事でやりとりをして、新たに知り合いが増えて、プライベートでも友人が増える。
1ヶ月に20人と夕食をとるだけでも平日は全部なくなる。

会わないで交流を続けようとするとメールを出さねばならない。
メールのやりとりが1日に100通を超えるのは私だけではないだろう。
人が多すぎて、メールのやりとりが多すて、自分の時間が少なすぎる。

それでもみんな「友だちを大事」にしようとする。
紹介された人に愛想を振りまき、場を盛り上げ、家に帰ってメールも出す。

その結果、何が起こっているか。自明の結果が起こっている。
「薄くなっている」

友人が多く、人の紹介が大好きな人間ほど、1日のメール送受信数が多く忙しい。
必然的に「1通のメールにかける情熱」は薄い。

たくさん年賀状を書く人間ほど、
必然的に「1枚のハガキにかける情熱」は薄い。

ブログに「○○さんとお会いしました」と出会いばかり書いている人間ほど、
必然的に「1回の出会いにかける情熱」は薄い。

昨年ウィーンに行ったとき、遠い異国から娘にメールし、返信で受け取った返信メール。
言葉そのものは優しく、かわいい絵文字まで付いていた。
しかしその2,3行のメールの「薄さ」に、わが娘ながら驚いてしまった。
本人に悪気はないのだろうが、うすら寒いくらい文面の印象が「冷たい」のである。
(ちなみに私の周りで娘は、1日にもっとも多くのメールを出す人間である。)

同様の「薄さ」があきれるくらい世間に広がり始めた。
SNSで繰り返される薄いあいづちコメントの連続。
飲み会の翌日、メールで一斉送信される「昨日は楽しかったです」というお礼コメント。
・・・・・。とにかく「薄い」。

私は最近、そうしたものから離れて「一人で考えたい」という衝動にずっと駆られている。
数は少なくてもいいから、自分が友人だと思った相手には、ちゃんと対応していきたい。
そのためにはもっともっと一人で考える時間が必要だ。自分自身の言葉をもつために。

だとすれば「薄い」人間関係を捨てるしかない。

うまくやれない私にとって、友人の数は少なければ少ないほどいい。
しかたなく増えることはあっても、友人を増やそうなんてこれっぽっちも思わない。
付き合い下手は下手なりに生きていけばいいさ。

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メールなんて使わなくとも、何ヶ月連絡しなくとも、約束を破ろうとも、
久しぶりの再会で暴れようとも、長く長く付き合っていける友人。
数年会わないと「あいつに会いたいな」と思う友人。
理由はないけど困ったら助けるし、きっと助けてくれると思う友人。

そんな友人だけが友人でいいのではないか。
そんな友人にやっぱり薄いメールを出す気はしない。

2008年5月13日 (火)

ある母集団に2種類のものが混在していたとする。
これらを2つに分けるには、どちらか片方の定義をすればよい。
そうすればもう片方は「残り」と定義できる。
両方を定義する必要はない。

2つのものを分けるとき、われわれは無意識に
「一方の定義 + もうひとつは残り」
という決め方をしている。
残すを決めれば捨てるが決まる。
小学生の教室から「男の子は出なさい」と命令すれば、女の子が残る。

幸福と不幸。
これも同じ。
しかしどちらを先に定義するか、これが問題。

幸福と不幸のどちらを先に定義するかで、大げさに言えば人生が決まる。

************************************

最近、「こうすれば幸せになれます」という方法論(出世術、金儲け、投資術、勉強法etc.)や
「心はこう持ちましょう」という精神論が流行っている。

そこで明らかにされているのは常に「幸せ」のイメージだ。
お金や時間や心を上に向けて得られるのが「幸福」な状態。
それに向かって改善しましょう、努力しましょう、頑張りましょう。
光りのある方向に向かって。

これらは「幸せな状態」を定義して、それ以外を不幸せな状態=「不幸」としている。

だからこの国では、リストラや、貧乏や、受験の失敗や、大企業に就職できないことや、
離婚などはすべて「不幸」に分類されている。

************************************

なにが嫌いって、幸せを定義するのが嫌いだ。アンナ・カレーニナじゃあるまいし。
「幸せ」を意識しすぎると、それ以外の状態は全部「不幸」になってしまう。

近年、自殺や家族殺人が多いのはこれが原因ではないかと思うのだ。
「幸せ」を狭く定義しすぎたことによって、「それ以外」がすべて不幸に感じられてしまうこと。

だとすれば中年男性の自殺が多い現象は当然だ。

 ・上司の覚えめでたく出世する自分
 ・責任を持って部下を育てる自分
 ・金銭的に余裕のある自分
 ・家族にも心から信頼される自分

こんな自己イメージで「幸福」を定義すると、苦しくなるに決まっている。
そんなにみんなから愛されることなどあるもんかい。

 「幸せイメージ」に洗脳された親の子どもたちは受験地獄に追いやられ、
つらくて面白くない毎日を過ごしている。

************************************

こうなったら解決法はひとつ。
「不幸」の定義に取り組むことである。
なにがどうなったら自分は最悪の状態であるか。
不幸を徹底的に突き詰める。そして、それ以外を「幸福」とすればいい。
どん底の「不幸」から逃げてはいけない。
仕事が無くなったらどうなるのか。
部下や家族から見放されたらどういう気持ちになるのか。
すこしは効率化をやめて、意味もなく眠れぬ夜をすごしたほうがいい。

そうすれば人にも自分にもすこしは優しくできる。
メール1通にもシャレをこめることができる。

根が暗い私はここしばらく、ずっと不幸について考えていた。
長い長い熟慮の末、「不幸」という状態は、それほど簡単になれるものではないということが判明した。
自分が漠然と不安を感じていた「不幸」など、よくよく考えてみればたいしたことはない。
無一文でもバカでも自殺することはない。
親が笑っていれば、子どもはバイトでもして勝手に生きていく。
上司がバカでも、部下はちゃんとそれを見ながらやるべきことをやっていく。

大したことない不幸は、それをネタにして笑えば1分で終わる。
問題は笑えるかどうか。
最近、現実が困難かつ悲惨な状況になればなるほど「ニヤリ」とする自分がいる。
「きたぞ、きたぞ、不幸が来たぞ」と思いつつ。

「幸福」なんて真剣に考えず、「不幸以外」でいいのではないでしょうか?

2008年5月12日 (月)

資料を整理して出てきたのが、楽天さんの雑誌「Dream3月号」。
捨てる」というテーマで以前取材を受け、阪本啓一さんや福島正伸さんらに混じって私の「捨てる」も掲載していただいた。
それにしても「捨てる」を巻頭特集にもってくる編集者って、すごくセンスいいね。

「捨てる」勇気こそは、いまを生きるわれわれにとって最大の課題ではなかろうか?

つまるところ、モノも情報も人付き合いも捨てられないのは、「残す」が定義できていないからだ。
何を残せばいいのかわからないと、捨てるべきものが決まらない道理。

残すモノと捨てるモノ。
30%ずつくらいはハッキリ認識できる。これは残す30%。これは捨てる30%。
どうしても40%が決まらない。グレーゾーン。

 必要ではないが、「いつか使うかもしれない」モノ
 なくすと後悔しそうなので、「とりあえず残しておく」情報
 今すぐ会いたくはないが、「人脈として残しておきたい」人

多くの場合、多くの人は、こうしたグレーゾーンを捨てる勇気がない。
だからとりあえず残す。
捨てられないモノ・情報・人が蓄積されていく。「捨てられない」メタボリック。
本当に残すべきものと、とりあえず残してしまったものが混じり合い、収拾のつかない脂肪となる
このメタボリックの処理が、その人の時間の使い方と人付き合いのスタンス、つまり個性を決定する。

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適切に名簿を管理し、安くていいソフトを使えば、大量の人にきれいな年賀状を送ることができる。
でもそれだけで送る勇気はないから、肉筆でひと言だけ付け足す。
「今年もよろしく」「元気ですか」。
データと人間関係を効率よく管理しつつ、アナログな人間味も失っていないという貧困な自己イメージ。

これぞ私の思う「捨てられないメタボリック」の典型。
ひと言すら工夫できない人生。
だから私は写真の年賀状に「今年もよろしく」「元気ですか」と書き添えてくる人間とは仕事をしないと決めている。
そういうヤツは「忙しいので」とか「バタバタしていて」という言い訳が早い。

反対に年賀状に毎年「記憶に残るひとこと」を書いてくれる人がいる。
そういう人のことは絶対に忘れない。

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 そろそろ自分のなかの何かを捨てないと、「今年もよろしく」と書きかねない自分がいる。
 それだけは避けねば。
 
 何を捨てるか、どう捨てるか。そしてどう寒さに耐えるか。

2008年5月11日 (日)

弟子Aです。

5月31日(土)の「立川志の吉・初心者向け落語会」ですが、
数日で満員御礼となりました。ありがとうございます。
今回は「初心者限定」とさせていただいたため、
落語経験者の方にはご遠慮いただくこととなり、誠に申し訳ありませんでした。
また、何かおもしろい企画の際にご参加いただければと思います。

参加の方には、12日(月)に場所等のご案内をメールでお送りします。
13日(火)になっても案内が届かない場合は、お手数ですが
お申込みいただいたアドレス宛にご照会ください。

それでは、当日にお会いできることを楽しみにしています。

2008年5月10日 (土)

新刊校正中のスタッフAが「これ何の原稿ですか?」と訊いてきた。
それは母校の高校から頼まれた、創立50周年記念文集用の原稿。

そう言ったところ、「これ、ホントに出したんですか!?」と。

私:「うん。もう出したよ」
A :「ええっ!この原稿を?ホントに?先方なんて言ってました?」
私:「そういえば、メールで原稿送ったのに返事来てないなあ」
A:「返事出せないんですって、きっと。だってキチンとした文集なんですよね?」
私:「知らねーよ、そんなこと。だいたいその原稿がなんでダメなんだよ」
A:「こんなの見たことないですよ。高校生は喜ぶと思いますけど、先生と親は固まりますって」
私:「みんなどうせつまんないこと書くんだから、一人ぐらいこういうほうがいいんだよ」
A:「でも、これはまずいですよ。最近は学校だっていろいろ厳しいんですから」
私」「・・・・・・(沈  黙)・・・・・・・・」

やや時間があって、その通りだな、とすこし反省しました。
もし母校の関係者の方がこのブログをご覧になっていたらお詫びします。
ボツにするなり、勝手に直すなり、どうぞお好きにお願いします。

あるいは「会計士だからって堅い文章を期待したら大きな間違いなんだな」
と、この経験を今後に生かしていただければ幸いです(苦笑)。

2008年5月 9日 (金)

5月31日「立川志の吉 初心者向け落語会」ですが、
このブログでしか告知していないにも係わらず、
スタッフによればもう定員に達した模様です。
申し込まれた皆さま、どうもありがとう。当日をどうかお楽しみに。
(しまった!という方、あと1、2人は大丈夫かもしれないので今すぐ・・・)

個別にはお伝えしましたが、「自分は経験者ですが初心者を連れて行きます」
という何人かの参加希望もお断りすることになった次第。本当に申し訳ありません。
こんどは「同伴落語会」も企画しないとね(ややこしいネーミングですが)。

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それにしても昨晩の地震はスゴかったですね。
本を読んでいたら部屋がしばらく揺れて目が回りました。

本を閉じて「うー、気持ち悪~」、とうめいていたところ、
たまたま起きていた小学生の娘から、

「じっとしてると気持ち悪いから、こんなふうに踊るといいよ」
と言われて一緒に踊ってみたら、たしかに揺れと同化して平気でした。

決して誰かに見られたくない光景です。

2008年5月 8日 (木)

ここ数日、アマゾンや楽天ブックスで大量の本を買い込んでしまった。
配達のお兄ちゃんたちの「あなた何者?」という視線が気になる。
しかしヤマト運輸はえらい。ヤマトのお兄ちゃんは私の本の読者なのだ。
それはともかく、ここ数日読んだ中から3冊のご紹介。

気づいた人はうまくいく!」阪本啓一著 日本経済新聞出版社 

→ ブランド・コンサルタント阪本さんの新刊。
  台湾で知ったのだが、すべてを漢字化する国でブランドを「品牌」と書く。
 「マナーのいい打ち手」のようだが麻雀とは無関係。牌というのは種類とか看板の意、「品のいい種類」という意味か。
 セルフ・ブランディングに名を借りた騒ぎすぎで品のない輩が増えているなか、品牌とは、なかなか味がある表現だ。
 この本を読んで感じるのは阪本さんの視線の角度、目線の高さ。何を見るかではなく、どう見るかという日々の積み重ねが「個性」を経て「品」をつくるのでしょう。
 安易な知識でなく「目線」を学ぶ本です。オススメ。

人体 失敗の進化論」遠藤英紀著 光文社新書

→私の好きなTom Waitsに「Bone Machine」という名曲がある。所詮、人間なんて骨の機械じゃないか、と。
 それを科学的に説明してくれる本。自分たちは「万物の霊長」だという思い上がりは気持ちいいくらいコテンパンに否定される。
 二足歩行を可能にするためにボロボロに改造された設計図。人間とはここまで奇妙な存在だったのか・・・。
 文系人間には面白すぎ、刺激が強すぎで、読み始めたら朝まで寝られませんでした。

『ニッポン社会』入門 英国人記者の抱腹レポート」コリン・ジョイス著 生活人新書

→これは理屈抜きに抱腹絶倒の書。英国人記者の日本体験記。
  あれだけ多くの人がぶつからないで移動する東京駅は現代の奇跡だという。
 日本で暮らしていると30回は「納豆は平気ですか?」と聞かれるらしい。
  また、電話を切るとき思わずお辞儀するようになれば日本通らしい。
 笑えるけど、笑ったあとですこし悲しい。

2008年5月 7日 (水)

いきなりGW明けから息もつかせぬ仕事の数々。
気が滅入ります。GWが毎月あればいいのにね、ホント。

今月末5月31日(土)に開催される
「立川志の吉・初心者向け落語会」
の申込がぼちぼちと届いているようです。
私の昔の知り合いや、どこかのセミナーを受講された方もいらっしゃるようです。

このブログのヘビーユーザー(?)には落語初心者は少ないと思いますが、たまに来てくれるブログ読者さんが足を向けてくれるのでしょう。
もちろん志の吉さんの会ですが、ゲストで出る私としても非常に楽しみです。

かつての江戸時代、江戸の町内にはたくさんの寄席があったそうです。
いまのように大げさにチケットを買っていくところではなく、気軽にみんなが集う社交の場だったようですね。

人数が少ない今回はきっと江戸時代を再現するような、ほのぼのした会になると思います。(料理もすごくおいしいお店です)
ビジネスで疲れた方、どうぞ気軽にお越しください。

すでにお申し込みされた方、近日中にご案内のメールが届きますので少々お待ちください!

*********************************

日 時 : 5/31(土)19:00~
場 所 : 浅草橋のお蕎麦屋さん
      (申し込みされた方にはお店の名前、場所など別途ご連絡いたします)
内 容 : 立川志の吉・落語2席
      ゲスト田中靖浩「初心者のための落語入門+プレゼン入門」
      なお終演後に志の吉・田中を交えた懇親会があります。
木戸銭 : 落語2000円 懇親会4000円 (当日会場にてお支払い下さい)
申込み : 下記アドレスまで氏名・人数を明記の上お送りください。
      ffyt@coral.ocn.ne.jp

  ※あまり広い会場ではないため、少人数での開催となります。
   参加は「初心者限定」です。ベテランの方、ごめんなさい。
   申込は先着順とさせていただきますので予めご了解ください。

2008年5月 6日 (火)

これといった「予定を立てないGW」はなかなか快適でした。
てきとうに選んで行った公園の「地下トンネル」↓。 迷路になっており相当広い。
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入るときにヘルメットを渡され?? なぜ必要なのか意味がわからない。
トンネル内に入ってすぐ、その理由が判明。
幼稚園児くらいなら自由自在に走り回れるが、大人は屈まねば歩けない。
10分もすると腰は痛い、頭はぶつける。大人にとって苦痛のトンネル行進。
一方でだんだん調子に乗って走り回るこどもたち。

追いかける親から子どもたちへ「行かないでくれ~」と泣きが入る。
恋人に去られてもかくや、という絶叫があちこちでこだまするトンネル内。

逆転現象がなかなかナイスでした。

2008年5月 3日 (土)

弟子Aです。

以前、このブログでご案内いたしました「初心者向け落語会」ですが、
志の吉さんと師匠の賛同も得ることができ、開催の運びとなりました。
詳細が決まりましたのでご案内いたします。

志の吉さんも師匠田中もすごく張り切っています。
どうぞ初心者の方、おひとりでも大丈夫です。気軽にご参加ください。

■■立川志の吉・初心者向け落語会■■

日 時 : 5/31(土)19:00~
場 所 : 浅草橋のお蕎麦屋さん
      (申し込みされた方にはお店の名前、場所など別途ご連絡いたします)
内 容 : 立川志の吉・落語2席
      ゲスト田中靖浩「初心者のための落語入門+プレゼン入門」
      なお終演後に志の吉・田中を交えた懇親会があります。
木戸銭 : 落語2000円 懇親会4000円 (当日会場にてお支払い下さい)
申込み : 下記アドレスまで氏名・人数を明記の上お送りください。
      ffyt@coral.ocn.ne.jp

  ※あまり広い会場ではないため、少人数での開催となります。
   参加は「初心者限定」です。ベテランの方、ごめんなさい。
   申込は先着順とさせていただきますので予めご了解ください。

 なかなか機会がなく、行きたいと思っていても行けなかった方、
 素人でも楽しめるものなのか不安に思っている方、
 是非、この機会に気軽な「お笑い」の世界を楽しんでください。
 一度ライブの素晴らしさを味わっていただければ幸いです。

 スタッフ一同、お待ちしております!

2008年5月 2日 (金)

いまやるべきことをやる。
過去にもできなくて、未来にもできないことをやる。

貧乏で、忙しく、誰にも認められなかった悲惨な過去にはできなかったこと。
金持ちで、仕事を選べて、有名になっている傲慢な未来にはできないこと。
しかし、いまならできることは何か?

論理的結論や理性より、カンが正しいこともある。
オッズが1000倍でも「これがいい」と思った方向性に賭けることにしよう。

そう決めたらGW休みは無しだ。
気休めの休息も渋滞にまみれた家族平和もいらない。

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2日目の渦19に行き、そんなことを考える。
あれだけ近い距離で「いきざま」みたいなものを感じると、いやがうえにも奮い立ちます。

「昨の非を悔る者は之れ有り、今の過を改むるものは鮮なし」<言志録 第43条>
 (過去の過ちを後悔する者はいるが、今していることの過ちを改める者は少ない)

2008年5月 1日 (木)

苦労は人を大きくする、とわかっていても当人にとって苦労はやはり苦労に他ならない。
ピンチはチャンス、とは思いたいが渦中にあればピンチはピンチ以外の何ものでもない。
いわゆる後講釈は気休めにならない。
突然襲い来るトラブルの連続。
まあいいさ。
命まで取られるワケじゃないし。
せいぜい薄い友情とカネを失うぐらいさ。
これ以上腕組みして天井を見てたってしょうがねーや。

・・・・とトラブルシューティングを放棄し、下北沢へ向かう。

本日5月1日から連続4日間開催される「渦19」の初日。超満員。

終演後、連れて行ってもらった沖縄料理店で流れる'80の名曲。
これほど気持ちよくゆっくり飲めるのは本当に久しぶりだな、としみじみ。
こんなふうに静かに笑って飲める人間だったんだ、オレって、と思い出すくらい最高の気分。
若い店員に渦19のチラシを見せてあげたら「誰も知らないです」
「知ってるか・知らないか」みたいな分かりやすさだけで判断していると人生損するよ。

ライブな笑いのあと、ゆっくりした時間。
仕事のトラブルなんか蹴散らして来てよかったな、と思う1日の終わり。
明日からも3日続く「渦19」本当に楽しみだ。あすもライブのあとは下北の沖縄料理だな。

「幸せだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うから幸せなのだ、と言いたい」
アラン「幸福論」より