原稿の合間、捨てるシリーズの続き(自分の中では好評につき)。
捨てるべきものは「可能性」。
子どもの受験や習い事に熱を上げている親に「どうして?」と訊くと、返ってくる答えがこれ。
「子どもの可能性を広げるため」
ああそうですか、と相づちを打ちつつ、バカじゃないかと思って聞いている。
オレはあなたの子どもに生まれなくて本当によかった、と思う。
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中学生のとき、鬼のような女の先生がいた。大声で怒鳴る怒る、本当に怖かった。
その鬼に授業中一度だけ褒められた。アドリブでつくった作文を発表したあとだったか。
発表したあと、いつもの大声で「田中!」ときたので「ハイ!」と答えて固まった。
かなり長い間があり、そのあと、いつになくゆっくりとした優しい口調で言った。
「田中、お前には文才があると思う。将来、そういう方向に進むといいかもしれない」
後にも先にもその鬼先生が、授業中に生徒を褒めるということはなかった。
そのあといつもの教室に戻り、何もなかったかのように授業は進んだ。
しかし、そのときの教室の柔らかい空気を今でも覚えている。
教室のすこし前寄り、かなり左側。座っていた位置までハッキリと。
なぜなら私にとって、それは将来の仕事が決まった瞬間だからだ。
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幼稚園と小学校の頃、私はいつも本を読んでいた。暗い子どもだった。
たまに遊びにきたおばあちゃんから
「本ばかり読んでないで外に行って遊んできなさい!」とよく叱られた。
しかたないので隠して本を持って外に行き、公園で読んでいた。
少食でおかわりもしなかったので「もやしっ子」と言われた。
子ども心にすごく情けなかった。
その本好きもやしっ子が、先生から「文才がある」と言われたらたまらない。
「いつか本を書く仕事をしよう」
一瞬にして、その場で将来の仕事が決まった。まったく迷いはなかった。
中学生にして、その他の仕事に就く可能性はすべて消滅した。
そのあとのすべての選択は「本を書く」ためにあったような気がする。
大学の試験や会計士の試験でもそれなりに緊張感はあったが、結果は気にしなかった。
そんなことより「本が書けるかどうか」だけが大事だった。
会計士に受かったときは、「よし、これで本を書くネタが仕入れられる」と思った。
それ以前に、会計士を目指し、就職活動しないで無職で卒業したのも、自分のなかのどこかに
「サラリーマンで本が書けるかい!」という思いがあったからだ。
とにかくあの先生によって私は「本を書く人生」以外の可能性をすべて捨てた。
たしかに本を出すための苦労はかなりのものだったが、それを苦労と思ったことはない。
本を書けるんだから苦労して当然だと思っていた。
こうなると夢でもなんでもない。「決まった」ことなんだからやるしかない。
はじめての「経営がみえる会計」が出たとき、どれだけ嬉しかったことか。
そのとき長女は幼稚園児。紀伊國屋書店新宿本店でパパの本を見つけて何をするかと
思いきや、キョロキョロあたりを見回し、
「いらっしゃい、いらっしゃい、パパの本ですよ!」
涙が出てきて、嬉しすぎて、今日死んでもいいと思った。
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そのせいかもしれませんが、私には「夢」というのものがありません。
夢は叶えるもの、だけど叶わないかもしれないもの。
「本を書く」は私の場合、「夢」ではなかった。
やるのかやらないのか、それだけ。
それが現実になった今、もう人生は残りカスのようなモノです。
本気でそう思っているし、それがまた意外に気に入っています。
だから友人の少ない孤独でも、短気でも、儲からなくてもいいんです。
しかし、もし残った人生でなにかやるべきことがあるとしたら、
わが子と若人たちに「可能性の捨てかた」を教えてあげることかな。
それが亡くなった先生への恩返しのような気もするし。
夢や可能性というのは、実現してナンボ。
夢や可能性が広がったって、選べるのはたったひとつ。
すべてを捨てても「これを選ぶ」という気持ちで選択できるか。
就職の会社でも、結婚の相手でも、「選択しなかったもうひとつの可能性」
を捨てられるか。
可能性を広げることが子どものためになる時代はとっくに終わった。
子どもたちは、有り余る可能性のなかで「選択」ができなくて苦しんでいる。
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私はたったひとつ、とても大事なことをあの鬼先生から教わった。
可能性を捨てさせるためには、その人間を「見てやる」ことに尽きる。
あの先生はたしかにオレのことを見ていてくれた。
見たうえでアドバイスするのか、指導するのか、コーチングなのか、それは
よく知りません。
上手なアドバイスをする気もありません。そいつの可能性が広がったら困ります。
でもとにかく子どもや部下を自分の目でしっかり「見てやる」こと。
おまけの人生につき、それ以上のことはやろうとしてもぜんぜん思いつきません。許せ。