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2007年7月 9日 (月)

「自由業」の定義

幅広く無茶な活動が評価されたのでしょうか。最近、雑誌・新聞・テレビなどから決算書図形から落語系まで、いろんな取材や出演依頼をいただきます。

それぞれを個々にみれば大変ありがたく嬉しいのですが、全体としてみればあまり快適でないというか、正直「こんなことしてちゃいかんよな・・・」という気分です。

まずメディアとのお付き合いが多くなると、準備やチェックにかなり物理的・精神的な神経を使うので疲れます。
疲れること自体は別にいいのですが、どうしても他の仕事が犠牲になりがちになる。これが問題。
無責任な評論家になるなら別として、自らの意見を言おうとするのならどうしても「現場感」が必要になります。
メディアに振り回されているうちに現場の皮膚感覚が無くなるというのは自分にとって致命的であるわけで。

それからもうひとつ。
書籍からはじまって雑誌や新聞といった「短期メディア」になればなるほど、締め切りに追われまくるというのは当然の理。
どうしても「向こうのペース」に合わせざるを得ない、ということが起こります。
(たとえそれが納得できないことでもね)

もちろん個々の仕事の事情はわかるので可能な限り向こうにあわせます。
でも自分の人生を長い目で見れば、こういうのってあまりよろしくないですね。
やはり誰が何と言おうと、自分の人生は自ら仕切るのが基本であると思うわけ。
あまり仕切りが強い世界に慣れすぎると、自分で仕切る方法を忘れてしまう。
だからテレビに出まくっていた芸能人が、売れなくなった途端生活に困るようなことが起こる。
サラリーマンが定年で困るのも、スポーツ選手が引退で困るのも同じ。
個人としての仕事の仕切り方を知らないことに尽きるのだと思います。
逆に年齢・規模に関係なく、楽しそうに働いてる人って、自分で自分の仕事や人生を仕切っているもんね。

自分の意見を言えるだけの勉強をして、自分の意見の言える場を自分で作り、それで生活ができるように組み立てる。
これが現段階での「自由業」の定義です。

・・・・・・結局、うかれている場合じゃない、ってことだ。
さあ、また1週間頑張っていこう。やることは多いぞ。

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