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2007年6月24日 (日)

奮い立つ日曜日

「可能性」という言葉に懐疑的、というかほとんど嫌いになりつつある。
すこし景気が上向いたせいか、ビジネスの話で「可能性」という単語が増えてきた。
お受験雑誌でも、子どもの「可能性」を伸ばすために云々、だという。
本当に嫌いだ。

いまの世の中、大人になれば可能性など、どれだけでも転がっている。
自分の居場所から目をつぶって一歩外に踏み出せばいいだけだ。
重要なのはその可能性の中からどれを選び、そして実現させられるか、ということだけ。

可能性の中から何かを選ぶためには、「捨てる」勇気が必要。これは本当に難しい。
意外にも若い人ほど自ら選択し、他を捨てることが苦手のようだ。
そりゃそうだ。
彼らは受験や就職、仕事上で常に「どう見られるか」ということばかり気にし、
親や上司、そして世間の判断・評価に人生を委ね、自分で選択をしてこなかったのだから。
彼らが悪いわけではない。彼らは受け身体質をビルトインされた犠牲者なのだ。
イヤな時代だ。

こどもに受験を押しつけて合格しても、それで一体、本人に何が残るというのか?
受験や資格で染み付いた「受け身体質」はそう簡単に身体と心から離れない。
受験戦争の勝者を見よ、そんなに優秀ならどうして大企業に頼るのか。
頭がいいはずの会計士・税理士先生がどうして同じような事務所経営しかできないのか。
どうして日本を代表するはずの大企業が企業価値、効率経営と似たようなセリフしか言えないのか。

この国では優秀な人たちほど、「自分はかくありたい」という心を喪失している。

合格も不合格も、成功も不成功も受け入れた上で「自分はかくありたい」という炎を心に燃やす方法、
世間を敵に回し可能性を断念しても笑える太さこそが本当の「可能性」ではないだろうか?

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本日の日経朝刊。小朝師匠のインタビュー。落語ブームではないという。
「百人入ってきて何とかなるのは二人ぐらい(中略)今は三百人の会場を満杯にできる若手が出てきました。これから毎年一人、そうした人材が出てきてくれれば二〇一〇年ごろには落語界として勝負に打って出られます」

落語界でもビジネス界でも同じ。
きっとみんな横並びで中流な幸せを感じられる時代は終わったのだろう。
それでも「世間的な勝者」を目指すのはいまよりキツいにちがいない。
自分の幸せをどう定義し、どう成功として具体化させるかを考えねばならないこれからの時代。

試験や資格、稼ぎや名声といった見せかけの成功に惑わされない太さをもちたい。
それを求める苦痛、悩みのプロセスを恥じずにわが子や周りに伝えていきたいと思う。

さあ、6月の最終週だ。一気に人生の可能性を捨てにかかろう。
自分にやれること、やるべきことを考え、絞って勝負だ。

今週は可能性を捨て、7月はやるべきことを何が何でも実行。8月は1ヶ月休む。
決めた。絶対に決めた。
「やるべきことだけをしっかりやる」
「やるときはやる、寝るときは寝る」

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