やかんに水を入れて火にかける。
沸騰の手前で下ろし、酒を注いだグラスにお湯を注ぐ。
酒とお湯の割合は半々程度。
あたりを見渡して箸があればそのうち1本をとってかき回す。
箸がないときは栓抜きでかき回すこともある。
汚くてもそれは気にしない。
しかし間違っても梅を入れるなどということはしない。
そこで居住まいをただし、呼吸を整え、焼酎のお湯わりを飲む。
・・・・・と、ここまでの動作はいつもとまったく変わらない。
それなのに何かが違う。うまくない。なぜだ?
そうだ。その理由は焼酎が「紙パック」だからなのだ。
これまで焼酎といえば一升瓶か小さい瓶。紙パックの焼酎など買ったことはなかった。
でも今回はじめてスーパーで紙パックの焼酎を買った。
値段を計算してみると、瓶より割安で驚いた。しかもコンパクト。
でもダメだった。旨くない。中身は同じはずなのに。
酒を飲むという行為は別にアルコールという物質を欲しているだけではないのだ。
酔うという行為はきわめて精神的な行為なのだと知った。
物理的に「酔えばいい」というのなら、アルコールを注射すればいいことになる。
それではダメなのだ。
それはあたかも、「風俗で足りる」みたいなものだ。
そんなのでよければ、しまいには映画マトリックスのように「気持ちいい記憶」だけで足りることになる。
やっぱりアナログなこだわりがなければやってられない。
・・・・とめんどくさいことを言い出すのは年を取った証拠か。
そうと分かっていてもやめられない。
「嗜み」とは「老いた日の口もと」と書く。(完全に言い訳)