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2006年11月12日 (日)

葬式で遺体の写真を撮る人々

昨日、山陰からの帰り、30年振りにプロペラ機に乗った。
悪天候でなければ楽しめたかも。

乗り換えの伊丹空港、暇つぶしで見たテレビ。
葬式にて、遺体の「携帯写真」を撮る馬鹿者が増えているという。
テレビ局が行ったアンケートによれば、この行為は
「93%容認できない・7%容認できる」という結果だったそうだ。

遺族の目の前で、遺体の写真を撮ってもいいと考える大馬鹿が7%もいる。
数年前に感じた、すごくイヤな予感が的中してしまった。

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数年前、会計士協会関係の委員会で「知的資本」を研究した。
当時はまだ、知財(知的財産)やブランドの議論がそれほど盛んでない頃だった。

その後、一気に知財・ブランドといった「見えない財産」論が一気に流行していった。
物的な資産ではなくとも、権利やノウハウといった「目に見えない財産」にも価値を認め、これこそを企業の収益源泉と考えるべきだというお話し。

もちろんそのストーリー自体は、すごく納得できる話しである。
しかし私自身、これを研究していてかなりの不安を覚えた。
見えない資産をどうしたら財務諸表に掲載できるかといった、技術的な問題だけではない。
こうした「見えない資産」論が盛り上がった行方に漠とした不安を感じたのだ。
それはビジネスという枠を超えた不安だった。

ビジネスの論理中心に、見えない資産を重視する傾向が強くなると、これまで「モノ」に対して使ってきた考え方を「目に見えない情報など」にも使うようになる。
たとえば顧客名簿は盗んではいけない。モノとしてはともかく、カネを生む情報として顧客名簿の価値はすごく高いからだ。
だから最近の企業は個人情報を中心とした「情報漏洩」にピリピリしている。

モノと同じ財産権のような思考が、現代においては「情報」にも適用されはじめている。
・・・・・と、ここまではいい。

しかしまだまだ世の中では「モノ」と「情報」の区別は曖昧である。
本の万引きも、本を携帯で写すのも本質は同じ「盗み」だが当事者の罪の意識は違う。

最近は少しずつ、情報にも財産的価値を認める空気が出来上がりつつあるが、同時にイヤな空気が流れ始めた。
「財産権を侵害する情報取得(=写真を撮る)はダメだが、逆に侵害しないのなら情報取得はOK」
とでもいうような、言ってみれば「ビジネスの論理」が強くなりすぎてきた気がする。
すると反面で、「思いやり」とか「優しさ」が減ってくる。

とうとうこの国では、遺族の前で遺体を撮る無神経な行為が始まった。
キャーキャー騒ぐ女子高生だけの責任ではない。
私より年も食って、社会的地位もあり、お金も一杯稼いでいる立派なオッサンが「ここで携帯出すかよ~!」というタイミングで平然と写真を撮るのである。
あまりに堂々としたその振る舞いに、呆れてモノが言えない。
きっとビジネス界に生きる彼は思っているのだ。
「ここで写真を撮って何が悪いんだ!」と。

多発しているイジメ問題の根っこも同じところにありそうな気がする。
いまの子は物理的に傷を付けるようなイジメをやらない。
必ず心を狙って傷めつける。
「身体を傷つけていないんだから問題ないでしょう」といういじめっ子の言い訳が聞こえるようだ。

この国では「見えない資産」に注目が集まる裏側で、「見えない心」が押しつぶされそうになっている。

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コメント

遺体を撮る行為について思ったこと

自分が子として、親が死んだときの表情を忘れてしまうことになぜか怖さを感じてしまい
自分の父親の死に顔を携帯のカメラで撮りました
安らかないい顔だったので許してくれるだろうと勝手に納得して撮りました

親ほど近い間柄で無ければ絶対やってなかったし
それでも後ろめたさがあったので、喪主ながら他の親族の居ない時を狙って撮ってました

撮った画像はデータが消えることを恐れ、複数のハードディスクに保存しつつも、最初の確認時以外開いてません

ニュースに出てくるような遺体を撮った人は、その後写真データをどのように扱っているのだろうかと気になりました

投稿: 通りすがり | 2006年11月 12日 20:43

> 通りすがりさん

その「子」としての行為は当然だと思うし、お父さんも喜ばれていると思いますよ。
その気持ち、よくわかります。

ただ「子」として、目の前で無神経に父の写真を撮られたら、相手が誰であっても怒りますよね。

デジタルの時代でもアナログの時代でも、人をイヤな気分にさせることをしてはいけない、というのは基本だと思うのです。

どうもその大原則が崩れてきたようで困ってしまいます。

投稿: たなか | 2006年11月 12日 20:58

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