復活したピアノマンに思ったこと
今晩はドームのビリージョエル。
嬉しいことにステージ前の最前列!
近年、アルコール依存症、鬱病、交通事故というニュースばかりだったが見事復活。
昔とちがってバンドを楽しむ余裕と楽しさが感じられるライブ。
ギター・ローディーのあんちゃんまで1曲歌って場内大盛り上がり。
ふと気付いたが、ビリージョエルのCDを1枚も持っていない。
なぜかと言えば全部レコードで買ったからだ。
レコードが高くて買えなかった昔、FMレコパルで一生懸命好きなアーティストと曲を探し、赤ペン付けてから録音したものだ。
それがいまやネットで曲が手軽に買えるのだから時代は変わった。
なんでも手軽に手にはいることはたしかに嬉しい。
しかし「手軽」な便利さに慣れてきた我々が、その延長で安易な「わかりやすさ」を求めるようになってきた傾向にはものすごく危うさを感じてしまう。
「いま『ゆとり教育』のどこが悪かったのかが問題になっていますが、私が思うには、わかる内容しか教えなくなったことです」(AERA2006,12,4)
という高村薫さんの文章には大いに頷く。
すぐに分からないものを分かろうと努力すること、簡単に手に入らないものを手に入れるために苦労すること、前例に頼って表現しないで自分の表現を工夫すること。
これらのことを「成長」と呼ぶのではないだろうか。
情報をいっぱい増やして頭デッカチになることが成長じゃないだろう。
恐ろしいことにITの増殖と反比例して「成長」はどんどん失われてきている。
大人向けビジネス書、子ども向け教育書・・・
この模倣と安直と拝金主義のオンパレードはどうだ。
本当にヤバいなあと思う。
赤ペンで好きなアーティストの曲をチェックし、録音して何度も聞いたときの感覚を忘れないでおきたい。


