午後事務所にて、志の吉くん、スタッフの皆さんと「時流かわら版」対談の第2回目。
第1回目の「ヤンキースはなぜ松井秀喜に60億円を払ったか」に続いて、今回のお題は「ライブドア問題」。
その内容は3月10日発売の紙面でお楽しみいただくとして、対談終了後、志の吉くんとのオフレコ・トークがなかなか面白かった。
志の吉:
「カーナビがこれだけ当たり前になると、方向感覚ってなくなってきますよね」
「ピンポーン、って音がして『誰だろう?』と考えることが、玄関カメラによってなくなってしまいました」
そうなのよ、志の吉くん! 君の言うとおり、自分もみんなも、カネで買える便利さと引き替えに「五感」を失いつつある気がするワケ。
むかーし、大学の頃かなあ。ドラゴンクエストを「こんな面白いゲームがあるのか!」と狂ったようにやり続けました。で、ゲームを終えて街を歩いたとき不思議な感覚に襲われました。何か分からないことに出くわすと、街ゆく知らない人に「話す」コマンドで聞きたくなるんです!
私はそのとき大学生だったので「怖いなー」ですみましたけど、いまの子供たちは「どこかに正解がある」っていうドラクエ的前提で生きている気がします。
そう、大人だって分からないことをすぐネットで検索するじゃないですか。
これってすごく恐ろしいことだと思います。
だって人生のほとんどのことには検索できるような正解がないから。
だからこそカーナビがない状態で「どっちかな~?」と悩み、ピンポーンと鳴ったときに「誰かな~?」と想像し警戒し期待する「間」が大事だと思うんですよ。その間こそが、その間だけが、他人と区別された自分という人間をつくっていく。
たとえば私が若いスタッフに「・・・・はどうなってるの?」と課題を投げかけたとします。たいていのスタッフはすぐに答えを調べようとするようです。
でもね、正直こちらからすると、正解を探す前に一瞬でいいから「悩み考えて欲しい」わけですよ。
「どうして先生はいまそのことを自分に聞いているのか?」
ほんの少しそれを「悩んで」から調べる人と、いきなり調べる人の差、つまり「間」の差ってすごく大きい気がします。
試験や成果主義といった偏差値・利益至上主義によって結果だけが強調され、五感で感じる「間」が消えてきてしまった。その喪失された五感をカーナビと玄関カメラとネット検索でおぎなうしかなくなった。だからカーナビと玄関カメラとコンピュータを買える財力のある奴が強い。五感がおカネや便利さに取って代わられる絶望的な状況。
最近の会社では、すぐ近くの上司にメールをだすんでしょ? 私なら大声を出して怒鳴りつけます。でも、もうすでに怒鳴れなくなってきてるんですよね? そういうバカが多すぎて。
なんだか、いやな世の中だと思います。
もっともっとリアルな五感、そして人との距離感覚を磨きたいと改めて思うのです。
自らへの教訓:リアルは便利ではなく苦労によって磨かれる五感にあり