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2005年12月22日 (木)

これが「芸」というものか

夜は一杯引っかけたのち、有楽町にて立川流家元、立川談志師匠の独演会。
家元の落語はCD、DVDではさんざん聴き、見たが、ライヴは今回が初めて。だって志の輔さん(志の吉くんの師匠)はじめ、私の好きな落語家さんが「神」のごとく尊敬する方なので、私としてもそれなりの準備と覚悟をもって行ったほうがいいだろう、と満を持して行ったのでした。

・・・・・結果。覚悟が足りなかった。
とんでもないモノを見てしまったという感想。それは凄い。本当に凄かった。
だいたい、数百人のホールを超満員にして独演会をやる落語家は、ミュージシャンと比べて最初から不利である。ステージ上には自分一人で仲間無し。使えるのは自分の声だけで楽器などはなにもなし。座っているだけで動きもなし。座布団の上の自分という存在、話す声だけで数百人と対峙するのだ。
演目は飲んだくれ亭主とそのカミさんの人情噺「芝浜」。ストーリーは全員が知っている。家元の右脳に広がっている世界が左脳的言葉を通じて観客に伝わり、その言葉を観客が右脳で再現する。
家元のイメージ(右脳)→家元の言葉(左脳)→観客の理解(左脳)→観客の感情(右脳)
こうした右脳と右脳のぶつかり合いという状況が、満員御礼、動きのないホールで展開されるのだ。終盤、カミさんの愛情をダメ亭主が理解する場面では泣いている人がいる。
終演時、ガーンとハンマーで頭を殴られた衝撃を受ける。オレも人様に話したり、活字を伝えて収入をいただいてきた。少々の自信も持っていた。しかし、そんな自信はこっぱみじんに吹き飛んだ。
いったい何なんだよ、これは。オチが終わり、幕が下がってお辞儀をする家元のなんとカッコイイことか。どうなってんだよ、この空気は。いったい何歳なんだよ、この師匠は??

もし仮にこの家元のライヴを先に見てしまったら、私は恐ろしく志の吉くんに声なんて掛けられなかった。落語家さんが遠い世界に見えてしまっただろうから。
しかし恐れ多くも、年明けにこの一門の噺家さんと一緒に公演をやることになっている。
神をも恐れぬ所業。気が引き締まるのをはるか通り越して、今日だけはビビリまくった。
来年は何があっても家元の落語だけは追いかけよう。

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コメント

昔、桂一門が大好きで博多に来たとき良く行きました。
中でも米朝、枝雀、ざこばが好きでした。

場の空気を読んで進めていく独特の生の雰囲気。

いや~、1/6が楽しみだ♪
←プレッシャー?

投稿: おぷる | 2005年12月 23日 07:32

田中先生もいらしていたんですね。
私も前から4番目の列におりました。

右脳を刺激されるのはもちろん,
扇子や手拭いの使い方にも無駄がなく,
左脳で考えても素晴らしい芸。
(途中,間違ったのは愛嬌で)

右脳と左脳の両方から攻められたら,
もう白旗を揚げるしかありません。

投稿: かがみ | 2005年12月 23日 10:39

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